Article

野本寛一著『神々の風景 信仰環境論の試み』

「神々の風景」は総じて変貌が著しい。それは衰微・荒廃してきているといって間違いない。その変貌と衰微は日本人の「神」の衰微であり、日本人の「心」の反映にほかならない。すべての環境問題の起点はここにある。自然のなかに神を見、その自然と謙虚に対座し、自然の恵みに感謝するという日本人の自然観・民俗モラルが揺らぎ、衰えてきているのである。かつて、われわれの先人たちは、折にふれて「聖性地形」のなかに身を置き、身と魂を洗い、汚れた心身を清め、魂の衰えを充たし、おのれを蘇生させてきた。そうした魂の原郷は、いかにしても次代に手渡してゆかなければならないと思う。(緒言 信仰環境論の視角より)

この本が出版されたのが1990年。それから四半世紀が経過し、日本だけでなく世界の「神々の風景」を破壊し続けているのが今の日本の現状とも言えます。しかし、経済を最重要とするこれまでの考え方から脱却して、古より受け継がれてきた自然観や民俗モラルをもう一度大切にしようという萌芽も現れてきています。その芽を殖やしていくためにも、先人たちが大切にしてきた「自然の中の聖地」を勉強するきっかけをこの本は提供してくれます。そして、実際にそれらの聖地に足を運び、心で直に観じるところから、本当に大事にしなくてはいけないものが見えてくるのかもしれません。

Article

カフェの庭に咲いたガクアジサイ

今年は一つの株に、ブルー系、ピンク系、そしてブルーとピンクのグラデーション、と多彩な色が咲いています。

ガクアジサイの原産は、日本なのだそうで、これを改良して、まぁるい手毬のような「アジサイ」や、最初にフランスで改良されたと言われている「セイヨウアジサイ」が誕生したのだとか。。。

土壌が酸性の場合はブルー系、アルカリ性の場合は赤系が咲き、同じ株でも色が異なるのは、根から送られるアルミニウムの量の違いからだそうです。

Article

ドクダミの開花

庭の日陰の様々な野草の中で咲くドクダミは、凛として、息をのむほどの美しさを放っていました。
4枚の花びらのように見える部分は、つぼみを包んでいた葉で、総苞片と呼ばれるものです。

半耐寒性(−10℃まで)の多年草で、霜が降りる頃になるとすっかり枯れて地上部は姿を消しますが、春、桜の開花時期になるとまた芽を出し、初夏から夏にかけて花を咲かせます。半日陰から日陰を好む草で、地下茎で広がり、増えていきます。

開花期は、有効成分が最も多く含まれる時期で、別名ジュウヤクとも呼ばれ、全草を刈り取って乾燥保存し、解熱、解毒、利尿や湿疹薬に使われるそうです。
身近なところでは、化粧水、お茶、薬湯、としても使われていますね。
また、若葉を高温で揚げて天ぷらにすると匂いが消えて、おいしいくいただけるそうです。

英語では、魚のような匂いから「Fish mint」とも呼ばれています。

Article

菊池 木乃実著『木を植える男 ポール・コールマン 4万1000キロ徒歩の旅 』

1人が行動しても、世界はほとんど何も変わらない。
1本の木を植えても、世界はほとんど何も変わらない。

もともと自分たちのものでもない自然を自分のものと勘違いし、
森を破壊し、海を破壊し、清浄な空気を破壊し、
すべてを使い果たし、
わずかに残った資源をめぐって最後まで争いを続ける。

地球が許してくれる範囲を、精巧なシステムを、
自分たちでますます狭く不自由に改変し、
狭い檻の中で覇権を争う。

誰かが声高に叫ぶ。
1人が行動しても、世界はほとんど何も変わらない。

でも、それは彼に対しては何の影響も与えなかった。
なぜなら、変わるから行動するのではないから。
自分の中の本当の声に従って、ただ行動をしているだけだから。

たった1人の行動でも、世界は変わる。
たった1本の植樹でも、必ず世界は変わる。

そんな希望をもらうことのできる1冊です。

Article

カフェの庭に咲く花たち

四季咲きアカシア

イタリアンパセリ

アフリカンブルー・バジル

GCBOOKCAFEの庭では、

四季咲きアカシアのフワフワのペールイエローの小さな花々が、甘い香りを放っています。

イタリアンパセリは、2年草で、昨年中は葉を少しずつ収穫して料理に使いました。そして一通り四季を経て、今花が咲き始めました。

アフリカンブルー・バジルは、バジルには珍しい多年草です。バジル特有のさわやかな香り、そして紫がかった葉が美しく、料理にも利用できるハーブです。

Article

稲の収穫

web_1120408

秋、ベランダの小さな田んぼの稲穂たちもみな、あたまを垂れて、収穫を待っていました。
10月の晴れた日を選んで、稲刈りをすることにしました。

刈り取ったばかりの籾は水分が多く、そのままにしておくと、腐ったり、芽が出たりしてしまうそうなので、ひとつかみずつに束ねた稲たちを、軒下で、逆さに吊るして10日間ほど乾燥させました。

乾燥がおわって稲からはずした籾は、おおきめのジャムの瓶の口までいっぱいに獲れました。
そして、脱穀したあとの稲は、来年の畑で「敷き藁」として使うことにしました。

s_p1120131

稲作は、米(主食)の収穫だけでなく、藁や糠 、米のとぎ汁などの副産物までも無駄なく利用する、という循環型のライフスタイルの実践ともいえますね。

Article

稲本正(著) 姉崎一馬(写真)『森の旅 森の人』

s_1120181

いくら自然を守るためでも極端なのは違う感じがする、と稲本さんは言います。それは「自然」な雰囲気では無いからかもしれません。

自然のことを全く考えないで資源を浪費する人たち。逆に、自然のみを第一にして人間の生活をすべて否定する人たち。すべてを0か1にジャッジする文化であれば、その二択は普通のことかもしれません。しかし、感覚的な感想ですが、特に日本やアジア地域においては、もう少し曖昧というか、全てを包容するような考え方のほうがしっくりくる人たちも多いような気がします。

この本のように、日本全国の森を実際に見て、そこで暮らす人たちと実際にお会いして、都市と森林の関係について、人間と森林の関係について、自然と人間を含むこの世界全体について、自分の経験と情報と感覚を増やしていく。そうすることで「自然」に、自然と人間とのあるべき関係が見えて来そうな気がします。

稲本さんはこの本の中で東京のような都会に暮らすことは必ずしも否定しない、と書いています。しかし、東京から見える富士山も大事にして欲しい、と。いつもそこに自然の懐があること忘れない。そうすることで自然と共存した人間の暮らし方を「自然」に選んでいけるのかもしれません。