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西畠清順著『教えてくれたのは、植物でした』

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「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。」これは昭和天皇のお言葉。

雑草どころか人間さえもそんな風に扱ってしまうことは無いだろうか?自分に都合のいい一方的な考え方で。子どもの頃から雑草を抜くことを覚えると、自分に利益が無かったり害があったりするものは抜いてしまえばいいという習慣になるのかもしれない。そんな大人もたくさんいる、特にその集団が不自然な場合に。

家族や友人は自然な集まりだからそれはあまりない。でも、自然ではない集団には何か一方的な価値観を維持する必要があるので、「それを乱すもの」や「害に見えるもの」は排除する必要がある。そう考えると、一方通行な価値観の強制が世界や環境を平和から遠ざけてるとさえ言えるかもしれない。

植物にももちろん排除はある。自己防衛もある。自分のそばに余計なものが生えてこないように、あの手この手で。でも、相手を抜いてしまうようなことはない。きれいに取り除いてすっきり、ということはない。

植物を見ていると、抵抗はするのだけど、完全にはそうはならないという世界が、本当の平和な世界な気がしてくる。妥協が日常な世界。まあいいか、という世界。植物は喋らないけれど、「おれも頑張ってるんだぜ、ぜんぶがうまくいくわけじゃないけど」と言って笑ってる気もする。