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阿部健一編『生物多様性―子どもたちにどう伝えるか―』

多様であること、それは混沌とは違う。
画一であること、それは調和とは異なる。

多様であることの大切さを言葉で説明することは難しい。

自然界は多様さによって成り立っている。
人間の生命も自然界の多様性の網に含まれている。
地球上の生命が多様で無くなるほど、地球上のすべての生命は危機に瀕する。
人種や文化の多様性が人間の感覚をより高度なものに進化させている。

すべての進化は多様さが増えるということ。
すべての退化は多様さが減少するということ。

多様なままでひとつに調和することの美しさ。
強制的な力によって画一化されることの醜さ。

多様性の美しさを子どもたちと一緒に考える、
そんな機会がますます増えることを望みます。

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野本寛一著『神々の風景 信仰環境論の試み』

「神々の風景」は総じて変貌が著しい。それは衰微・荒廃してきているといって間違いない。その変貌と衰微は日本人の「神」の衰微であり、日本人の「心」の反映にほかならない。すべての環境問題の起点はここにある。自然のなかに神を見、その自然と謙虚に対座し、自然の恵みに感謝するという日本人の自然観・民俗モラルが揺らぎ、衰えてきているのである。かつて、われわれの先人たちは、折にふれて「聖性地形」のなかに身を置き、身と魂を洗い、汚れた心身を清め、魂の衰えを充たし、おのれを蘇生させてきた。そうした魂の原郷は、いかにしても次代に手渡してゆかなければならないと思う。(緒言 信仰環境論の視角より)

この本が出版されたのが1990年。それから四半世紀が経過し、日本だけでなく世界の「神々の風景」を破壊し続けているのが今の日本の現状とも言えます。しかし、経済を最重要とするこれまでの考え方から脱却して、古より受け継がれてきた自然観や民俗モラルをもう一度大切にしようという萌芽も現れてきています。その芽を殖やしていくためにも、先人たちが大切にしてきた「自然の中の聖地」を勉強するきっかけをこの本は提供してくれます。そして、実際にそれらの聖地に足を運び、心で直に観じるところから、本当に大事にしなくてはいけないものが見えてくるのかもしれません。

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菊池 木乃実著『木を植える男 ポール・コールマン 4万1000キロ徒歩の旅 』

1人が行動しても、世界はほとんど何も変わらない。
1本の木を植えても、世界はほとんど何も変わらない。

もともと自分たちのものでもない自然を自分のものと勘違いし、
森を破壊し、海を破壊し、清浄な空気を破壊し、
すべてを使い果たし、
わずかに残った資源をめぐって最後まで争いを続ける。

地球が許してくれる範囲を、精巧なシステムを、
自分たちでますます狭く不自由に改変し、
狭い檻の中で覇権を争う。

誰かが声高に叫ぶ。
1人が行動しても、世界はほとんど何も変わらない。

でも、それは彼に対しては何の影響も与えなかった。
なぜなら、変わるから行動するのではないから。
自分の中の本当の声に従って、ただ行動をしているだけだから。

たった1人の行動でも、世界は変わる。
たった1本の植樹でも、必ず世界は変わる。

そんな希望をもらうことのできる1冊です。

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稲本正(著) 姉崎一馬(写真)『森の旅 森の人』

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いくら自然を守るためでも極端なのは違う感じがする、と稲本さんは言います。それは「自然」な雰囲気では無いからかもしれません。

自然のことを全く考えないで資源を浪費する人たち。逆に、自然のみを第一にして人間の生活をすべて否定する人たち。すべてを0か1にジャッジする文化であれば、その二択は普通のことかもしれません。しかし、感覚的な感想ですが、特に日本やアジア地域においては、もう少し曖昧というか、全てを包容するような考え方のほうがしっくりくる人たちも多いような気がします。

この本のように、日本全国の森を実際に見て、そこで暮らす人たちと実際にお会いして、都市と森林の関係について、人間と森林の関係について、自然と人間を含むこの世界全体について、自分の経験と情報と感覚を増やしていく。そうすることで「自然」に、自然と人間とのあるべき関係が見えて来そうな気がします。

稲本さんはこの本の中で東京のような都会に暮らすことは必ずしも否定しない、と書いています。しかし、東京から見える富士山も大事にして欲しい、と。いつもそこに自然の懐があること忘れない。そうすることで自然と共存した人間の暮らし方を「自然」に選んでいけるのかもしれません。

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横川節子著『イギリス ナショナル・トラストを旅する』

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自然は美しい。でも、実は自然はただそこに存在しているだけで、その存在に美しさを見出すのは人間だったりする。自然を美しいと思う人間の存在はとても美しい。そして、その自然と調和して生活している姿もとても美しい。

自然との調和ある生活を愛した詩人ワーズワース。その意志を受け継いだ芸術家や思想家たちによって生まれたイギリスのナショナル・トラスト運動。この運動によってイギリスの何でもない自然や自然の中に佇む生活が、産業革命による工業化、商業化の波の中でも「大切なもの」として認識されるようになり、現在まで美しく保存され続けています。

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井形 慶子著『少ないお金で夢がかなうイギリスの小さな家』

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「あなたの家のいいところは」と聞かれたら、どう答えるでしょう。庭が広い。リビングルームが広い。最新のスマートホーム。駅から近い。買い物が便利。

でも、この本に出てくるのはhomely。

homelyの意味を調べると、家庭的な、素朴な、質素な。ただ住んでいて自分がもっとも心が落ち着く場所が、自分の家の一番いいところ、ということです。

たとえば、部屋の片隅に置いた小さくて古いソファ。なんでもないけどなんだか居心地がいい。そんな場所。

イギリスでは新築より中古の家の売買が多いようですが、不動産屋さんは延べ床面積を把握していないそうです。それより、1軒1軒に作りこまれた個性的な売りがあるそうで、この家じゃなくては住みたくない、という方が並んでしまう物件も。

Size is not way of showing status. 数字で表せるものは本当の価値ではないのかもしれません。

ヨットを浮かべて川の上に住んだり、風車小屋に住んだり、灯台に住んだり。でも、風変わりな人生を送っている人かといえば、そうでもなく、ロンドンの普通のビジネスマンだったりするそうです。

まだまだ画一的なことも多い日本ですが、誰かから与えられた価値判断ではなく、自分だけの価値の基準をもっと大事にする、そんな方がこれからますます増えてきそうな気がします。

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「穴守稲荷」駅前、はねだぷりんのブックカフェ羽月(うづき)さん

自転車で走っていてふと見つけてしまったブックカフェ。「BookCafe羽月(うづき)」さんは、昭和30年に初代が「食堂半分・書店半分」の店を開いたのが始まりだそうです。

実はここテレビでも紹介されたことのある「はねだぷりん」でも有名なお店なのでした。

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やさしい引き戸に誘われて店内に入ると、書店時代からの書棚に本がずらり。カフェでゆっくりくつろぎながら、そんな本たちを自由に読むことができます。

趣味の本や漫画や雑誌、アート本や志賀直哉全集もあったり、まさに本屋さんの中でのんびりできる感じ。そして、漫画「王家の紋章」の細川智栄子さんの直筆画も飾られていたり・・・と、ほんとに楽しい。

三世代にわたってコレクトされた蔵書に囲まれていると、今流行りのブックカフェともまた一味ちがう、どこか懐かしいような、親しみやすさとあたたかさを感じます。もちろん、新刊書や古書の販売もしています。

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いつもは厨房で腕を振るっていることが多いという店主の安武さんとお話ができました。

「・・・地元密着でやってきました。この場所で店を始めて私で3代目ですが、ここまでやってこられたのは、住民の皆さんのおかげです。

実は、もともとここにいたわけではないんです。米軍が空港を拡張して使うために昭和20年の9月、もと居た場所からGHQによってたった2日間で強制的に立ち退きになりまして、多くの住民の方と、穴守稲荷さんと一緒にこちらに移ってきたんです。
住民の方々に助けていただいたおかげで今があるんです。
羽田の知られざる歴史です。今はもう絶版になっているのですが、そのことを描いた絵本を、お店でお読みいただけます。

・・・6年前に改装して書店の奥でカフェをはじめて、少しずつカフェのスペースを広げたんです。
これからも地元の方々に何か恩返しをしていきたい、という気持ちが強いですね。」

「はねだぷりん」(写真は「大地」) 濃厚でなめらかな「大地」 昔ながらのカスタード「大空」 柔らかな食感の「幸福ミルク」

「はねだぷりん」(写真は「大地」)
濃厚でなめらかな「大地」
昔ながらのカスタード「大空」
柔らかな食感の「幸福ミルク」

「はねだぷりんの存在がカフェを開かせてくれたんですよ。」と、安武さん。

「近くで居酒屋さんをしていた方が開発されたプリンなんです。その方の、駅前にお店を出したいという思いと、私の方でも、何かもっと地元の方に喜んでもらえる方法はないか?と考えていたところでしたので、その思いが一つになって、販売することになったんです。」

最近では、ワインの試飲会やクラシックのコンサートなどを開いて、地元の活性化にも力を入れているそうです。

厳選した材料をつかって、店主みずから丁寧に手作りしている「はねだぷりん」は、ひとくちで思わず笑顔になってしまう、本物の美味しさ。そして、「多くの人たちにもっと本に触れてもらいたいと思っています。」という安武さんの言葉が、とても印象に残りました。

美味しいプリンとこの心地よさを味わいに、またぜひ立ち寄ってみようと思います。


お店へのアクセス
品川駅から「京急空港線」で15分。 「穴守稲荷」駅前、徒歩0分です。
〒144−0043東京都大田区羽田4-5-1
TEL:03-3741-1817
東京土産にもぜひどうぞ。

営業時間
平日 8:00~21:00
土曜 10:00~21:00
祝日 11:00~19:00

安武さんのブログサイトはこちらです。
http://ameblo.jp/syotentaisyou207/

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昆虫を求めて世界へ 佐藤 勝さん

昆虫を求めて世界中を駆け巡っている、「昆虫博士」である佐藤勝さんにお話をうかがってみました。

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GC「昆虫に関して、いままでで一番嬉しかったことは何ですか?」

南大東島でヒサマツサイカブトというカブトムシを見つけて、新種として認可されたことが、とびあがるようにうれしかったですね。

生まれたときから昆虫が好きで、40年あまりその道一本で虫を追いかけてきました。挫折せずに続けてきて良かった、という思いです。

GC「新種を見つけたことがきっかけで、本を出版されたそうですね?」

新種を見つけたことが新聞の記事になったんです。でも、それだけでは物足りない気がしましたので本を出しました。たくさんの方々に読んでいただきたいです。

「珍虫ハンターの海外旅行記」(文芸社刊)

「珍虫ハンターの海外旅行記」(文芸社刊)

GC「本のお話をもう少し聞かせてください。」

海外で新種を見つけたい、という思いから、世界80カ国あまりを訪問した「旅行記」になっています。
昆虫以外にも、リゾート地や、観光、グルメも載っています。昆虫というと苦手で敬遠する人も多いですからね。(笑)
海外旅行の観光案内としても、利用していただける内容になっています。

GC「ところで、少年時代と大人になってから、昆虫との関わりで変わったことはありますか?」

子どものころは、昆虫だったらなんでも、という感じで、アミ(補虫網)を使って、蝶とかトンボを追いかけていました。
18才のころから標本を作り始めたのですが、そのあたりから、アミを持っていると笑われたりしまして・・・、恥ずかしさもありましたので、
アミを使わずとれるムシですね、カブトムシ、クワガタムシ、コガネムシ、カミキリムシを追いかけるようになりました。

GC「昆虫の魅力をおしえてください。」

タマムシやコガネムシの色の美しさ。カミキリムシではルリボシカミキリという水色の美しいムシがいます。クワガタムシやカブトムシは色は地味ですが、強靭なボディが魅力です。
中でもカミキリムシは種類も多いのでこれからも追い続けていきたいです。

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GC「今後の希望や夢をお聞かせください。」

今の目標は世界100カ国を訪問することです。
現在日本以外で、96カ国に行きましたので、「マジック4」です!
今度の夏休みには到達する予定です。
もちろん、海外でも新種を見つけたいです。

そのあとの目標は、101カ国目の旅行で、プロポーズをしたいですね。
「101カ国目のプロポーズ」です。今はまだお相手はおりませんが・・・。
「昆虫と結婚したら?」などとよく言われるのですが、昆虫と結婚する気はありませんからっ!

それと、いつか珍獣ハンター・イモト(イモト アヤコ)さんとテレビで共演してみたいです。
自分は?もちろん「珍虫ハンター」としてですっ!

GC「それは楽しみです! 本日は、ありがとうございました。」

「珍虫ハンターの海外旅行記」(文芸社刊)はこちらで購入できます。http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-15152-6.jsp

佐藤勝(さとうまさる)さんのプロフィール
1974年9月27日東京都調布市生まれ
東洋大学短期大学英文学科卒業

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村上春樹著『アンダーグラウンド』

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60人の地下鉄サリン事件の被害者、関係者の声が掲載されたノンフィクション作品。

村上さんは最後にこんな内容のまとめを書いています。
「帰依した人々の多くは、(中略) 自我という貴重な個人資産を麻原彰晃という「精神銀行」の貸金庫に鍵ごと預けてしまっているように見える。(中略)それは彼らにとってある意味ではきわめて心地の良いことなのだ。何故なら一度誰かに預けてさえしまえば、そのあとは自分でいちいち苦労して考えて、自我をコントロールする必要がないからだ。」

しかし、「もしあなたが自我を失えば、そこであなたは自分という一貫した物語をも喪失してしまう。(中略)あなたはその場合、他者から、自我を譲渡したその誰かから、新しい物語を受領することになる。」
それが「何かのために血にまみれて闘う攻撃的な物語だった」としても。

自他の接点として、人は自分だけの物語を作る必要がある。
そしてその物語を通して、社会の中で生きていくことができる。

その物語は自分で書くのだから、いつでも修正ができる。
他人にあわせて。社会や状況にあわせて。

いくら下手な物語でも、きちんと自分で書いていれば、
いつかは誰かとつながることができる。

でも、上手(じょうず)や下手(へた)、勝ちや負けでしか判断されない社会で、
上手く書くというプレッシャーから自分らしい物語が書けなかったり、
他人は簡単に勝ちを手に入れていると勘違いして、地味な努力が億劫になったり。

そんなとき、自分の物語の書き手の権利を、特定の人や集団に預けてしまったら、
それは極楽な世界が待っている。
正義の物語は誰かが書いてくれて、勝手に上から下りてくる。

たとえ、何の罪もない普通の人たちが精神的、肉体的に犠牲になることが判っていても、
上から下りてくる正義の物語を生きていれば、
目の前の生身の相手に合わせて修正すらしなくていい。

地下鉄サリン事件の実行犯は5人。逮捕者は約40人。
もしこの僅かな人数の人たちが、自分の物語を自分で書くことを続けていたならば、
13人の方が亡くなり、約6,300人の方が負傷したこの事件は発生せずに、
1995年3月20日もただ普通の平和な1日であったのかもしれない。

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野田又夫著『デカルト』

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人それぞれ蓄積した感情がある。人それぞれ固定された立場がある。

でも、デカルトが大事にしたのは、自分の感情はいったん排除して、対象をあるがままに捉える努力をすること。
そのうえで、自分の自由な意志で判断すること。

誠実さを持って目の前の「今」を判断すること。
その逆は、偏見のまま対象をよく見ずに、誰かの言葉に基づいて判断すること。

対象を自分の目で直接見れば自分の中の世界が広がる。
自分自身で判断すれば、自分の中の判断力(善を見出す力)が身につく。
簡単ではないけれど、それは自分が伸びるための生き方かもしれない。

ただし、デカルトは「対象を客観的に見て自分で判断する生き方」を他人に強制する気は更々無いと言う。

なぜなら、デカルトは一人一人の自由な意志による判断を最も大事にしているから、らしい。

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シンプルな文庫本バッグ

シンプルに、文庫本一冊を持っていく。

公園に。
海辺に。
川べりに。
・・・。
そして、ゆったりと、シンプルな時間を過ごす。

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天然素材の麻紐で、小さなバッグを編んでみました。

クラフト用の麻紐をかぎ針編みで、グルグルと編んでいきます。持ち手も後付けではなく、グルグルと編みながらなので作り方もシンプルです。

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ケン・シーガル著『Think Simple』

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スティーブ・ジョブズはたとえ大企業になっても、大企業らしい行動には強く抵抗した。
それは、何かを実現するには「大」は不要であるから。

「考えることは大きく、それ以外は小さく。」

もし、企業を見事に骨抜きにしたければ、
役職をできるだけ多く作ればいい。

社内の複雑な仕組み。それは仕事が進んでいなくても仕事をした気になる人を増やす。

複雑な文章や資料。それは目新しさが全く無くても、自分がすごい論を展開している気にさせる。

複雑はいとも簡単。シンプルはとても難しい。

ある撮影現場で、自分をアピールしてきた彼とのやりとり。
スティーブ「それで君は何の仕事をしているんだい?」
彼「(有名な)広告代理店の管理職です」
スティーブ「そうか、オーバーヘッドだな」

※オーバーヘッド=それが存在することでシステム全体の負荷になるもの。

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ジュリアン・モア著『南仏プロヴァンス料理紀行』

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ジュリアン・モア著 角田 俊、パトリス・ジュリアン監訳『南仏プロヴァンス料理紀行』

アラブの方々が大切にするオリーブの木は、西洋のものでも東洋のものでもない祝福された木と呼ばれているそうです。にんにくとオリーブ油とハーブをふんだんに使うプロヴァンス料理の、誰でも簡単に作ることのできるレシピがこの本には載っています。

その材料は身近なところで得られるものばかり。森の幸、山の幸、薬草、きのこ、いちじく、アーモンド、オリーブ、はちみつ、ワイン。

そしてプロヴァンスは、よその土地からも多くの恵みを受けています。ぶどうを持ち込んだのはギリシア人。オリーブはローマ人。唐辛子はスペイン人。ミントはアラブ人から。

レストランのオーナーシェフであるミッシェルさんは言います。「あんたの食べるものが、あんた自身を表すんだよ。私自身は楽しみで食べる。おかげでいつも健康だ。楽しむことに罪悪感をもっちゃいけないね」

自然からの恵み、人からの恵みをありがたく受けて、のんびりと楽しんで暮らすプロヴァンスの人たちの様子が、この本から垣間見えます。

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PRESS PARIS『東京のパリ案内』

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東京は良い街だと思う。海外からの多くの文化が集まり、融合し、そして東京という新しい文化が作られているから。

まず、その国に行く。それが最も正しい。遠くから何を言ったって何も始まらないし、何ひとつわからない。でも、たとえ足繁く現地に行けなかったとしても、自分と異なる文化に日常的に触れるだけで、固定されていた視野は思っていたよりぐんと広がる。

この本では東京で体験できるフランスが数多く紹介されている。それはよくある料理や雑貨のイメージを超えて、東京在住のフランス人向けの施設であったり、フランス人と会話のできる場所だったりも紹介されているところがいい。6年前の本だけれど、いまも十分に使える。

自分のライフスタイルが一番だとつい思ってしまう島国的、ムラ的な何かを積極的にOFFにして、違う文化を味わう、受け入れる余裕をいつも持っていたい。そして、それを実現させてくれる東京という街は、やはり良い街なんだろうなと改めて思う。

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司馬遼太郎著『人間の集団について』

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普通の会社は自称100の人を集める。入社後も100を装い、会社は社員の100の装いに満足する。そして、組織全体の偽装や隠蔽や数のごまかしが後を絶たない。

なぜ、自称10とか20の正直な人を尊重しないのだろう。
なぜ、一緒になって10が11に、11が12になる一番楽しい過程を楽しまないのだろう。

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村上春樹著『羊をめぐる冒険』

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混沌が秩序であり、秩序が混沌である。
混沌を単純な秩序に置き換えることを逃避という。
混沌の中に複雑な秩序を見出すことを努力という。
宇宙も混沌のままで様々な法則がある。
それはとても複雑な数式で成り立っている。
一見して秩序があるとは思えないような数式で成り立っている。

土壌も人間が耕す前は微妙な秩序によって成り立っている。
耕すことで土壌の秩序は乱れ、新たに秩序を保つために、
いろいろな努力をしなくてはいけない。
人間が知恵で作り出した秩序には、枠が生じ、内と外が生じる。
そして、 雑草や獣などの秩序を乱すものの問題が出てくる。

テロリズムは混沌では無い。手段は個人であるがそれを動かすのは原理主義という単純化された枠。
枠を作れば他の枠との衝突が必ず生じる。

環境問題も個人の欲望の結果では無い。
高度資本主義という枠。
その枠の中で秩序を乱さないという意識が、
大量消費に同調して生活することになる。

例えば隣の家が車を買えば、うちも買いたい。それは個人の欲望ですらない。
同調するための欲望。
うちだけ車無しというのはありえない、という同調。

最近はその枠を感じない人たちや、
枠の中の偽秩序を感じない人たちも増えてきた。

それはある思想で無視しているというよりも、
自然に枠を感じなくなっているのかもしれない。

フランスやベルギーでテロがおこっても、
一方的な感情だけでは本質を見い出せないという声をネットで多く聞くようにもなった。
これは宗教という枠同士の争いということを肌で感じているからかもしれない。
そして自らはそのいずれにも属さないということを、自然に感じているのかもしれない。

枠の外に出て、自分の足で立って、自分で考える。
混沌の中に、秩序を自分で見出す努力をする。
広大な宇宙に秩序を見つけ出す努力を科学者が続けているように。

枠は内と外とを生み出し、衝突を招く。
敵を作り出す。
そして、その内側でもその偽秩序を保つために、
無駄とも言える努力をしなくてはいけない。

そしてその結果、その内も外も幸せから離れてしまう。

多様性という混沌のままで複雑な秩序を見つけ出すことは、
枠を作ることよりも、ものすごく大変だけど、

それはきっと心と世界に平和をもたらすものと思う。
それが宇宙を含めた自然な在り方だと思う。

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パトリスジュリアン著『生活はアート』

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料理を出すお店を経営しているとき、彼はスタッフに庭の手入れから1日をスタートさせていました。それは、まず掃除からさせるような精神論的な意味ではなく、五感を研ぎ澄ますためだったようです。

庭の植物を手入れし、植物と対話し、今日の天気、温度、湿度を肌で感じ、音を聞く。香りを嗅ぐ。そうしてから今日のための、今日の一期一会のための、料理を作り始める。結果ではなくてその過程を大切にする。その過程の中に相手の人をとても大切に思うすべてが入っている。そんなことをこの本を読んでいるととても感じます。

結果だけを求めると、お客様も「結果」に見えてきます。お金を持ってくる「結果」。どんな顔をしてようが、どんな服を着てようが、関係ありません。

お店を装飾するための植木、高級感を出すためのインテリア、お金をたくさん払ってくれるための料理。そして「自分たちのための結果」という顔の無い人を呼びこむための広告。そんなものたちを強く否定して、人と人、人と自然のシンプルな関係に戻ったときに、本当に幸福感ある生活や仕事ができるようになるとこの本は教えてくれます。

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かわしまよう子著『草手帖』

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一般的に雑草と呼ばれそうな草たちが丁寧に紹介された本。で、一番おもしろいのが巻末の「草むしりのコツ」。雑草を愛おしく思ってるはずなのに、とちょっと意外な気もしますが、草むしりのコツは、その植物をよく知ること、と教えてくれます。

私も畑をしているので、あまりに邪魔な草たちは抜きます。でも、長年、畑をしていると、そんな草たちの名前や生態をよく知ることになるので、イタズラを仕掛けてくる友達のような気さえしてくるのです。

おまえはしつこいやつだなとか、おまえはけっこうあっさり抜けるけど、次行くとほんと元に戻ってるよな、とか。

たしかに、この本の言われるとおり、名前もどんな性格かも知らずに、俺の領域に生えてきたやつは邪魔者だと抜いてしまうのは、自然に対して本当の礼儀知らずなのかもしれません。(土地の所有は人間の勝手な仕組みなわけで、だいたいその俺の領域とやらは、本来俺の持ち物ではないわけだし。。)

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西畠清順著『教えてくれたのは、植物でした』

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「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。」これは昭和天皇のお言葉。

雑草どころか人間さえもそんな風に扱ってしまうことは無いだろうか?自分に都合のいい一方的な考え方で。子どもの頃から雑草を抜くことを覚えると、自分に利益が無かったり害があったりするものは抜いてしまえばいいという習慣になるのかもしれない。そんな大人もたくさんいる、特にその集団が不自然な場合に。

家族や友人は自然な集まりだからそれはあまりない。でも、自然ではない集団には何か一方的な価値観を維持する必要があるので、「それを乱すもの」や「害に見えるもの」は排除する必要がある。そう考えると、一方通行な価値観の強制が世界や環境を平和から遠ざけてるとさえ言えるかもしれない。

植物にももちろん排除はある。自己防衛もある。自分のそばに余計なものが生えてこないように、あの手この手で。でも、相手を抜いてしまうようなことはない。きれいに取り除いてすっきり、ということはない。

植物を見ていると、抵抗はするのだけど、完全にはそうはならないという世界が、本当の平和な世界な気がしてくる。妥協が日常な世界。まあいいか、という世界。植物は喋らないけれど、「おれも頑張ってるんだぜ、ぜんぶがうまくいくわけじゃないけど」と言って笑ってる気もする。