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パトリスジュリアン著『生活はアート』

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料理を出すお店を経営しているとき、彼はスタッフに庭の手入れから1日をスタートさせていました。それは、まず掃除からさせるような精神論的な意味ではなく、五感を研ぎ澄ますためだったようです。

庭の植物を手入れし、植物と対話し、今日の天気、温度、湿度を肌で感じ、音を聞く。香りを嗅ぐ。そうしてから今日のための、今日の一期一会のための、料理を作り始める。結果ではなくてその過程を大切にする。その過程の中に相手の人をとても大切に思うすべてが入っている。そんなことをこの本を読んでいるととても感じます。

結果だけを求めると、お客様も「結果」に見えてきます。お金を持ってくる「結果」。どんな顔をしてようが、どんな服を着てようが、関係ありません。

お店を装飾するための植木、高級感を出すためのインテリア、お金をたくさん払ってくれるための料理。そして「自分たちのための結果」という顔の無い人を呼びこむための広告。そんなものたちを強く否定して、人と人、人と自然のシンプルな関係に戻ったときに、本当に幸福感ある生活や仕事ができるようになるとこの本は教えてくれます。

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かわしまよう子著『草手帖』

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一般的に雑草と呼ばれそうな草たちが丁寧に紹介された本。で、一番おもしろいのが巻末の「草むしりのコツ」。雑草を愛おしく思ってるはずなのに、とちょっと意外な気もしますが、草むしりのコツは、その植物をよく知ること、と教えてくれます。

私も畑をしているので、あまりに邪魔な草たちは抜きます。でも、長年、畑をしていると、そんな草たちの名前や生態をよく知ることになるので、イタズラを仕掛けてくる友達のような気さえしてくるのです。

おまえはしつこいやつだなとか、おまえはけっこうあっさり抜けるけど、次行くとほんと元に戻ってるよな、とか。

たしかに、この本の言われるとおり、名前もどんな性格かも知らずに、俺の領域に生えてきたやつは邪魔者だと抜いてしまうのは、自然に対して本当の礼儀知らずなのかもしれません。(土地の所有は人間の勝手な仕組みなわけで、だいたいその俺の領域とやらは、本来俺の持ち物ではないわけだし。。)

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西畠清順著『教えてくれたのは、植物でした』

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「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。」これは昭和天皇のお言葉。

雑草どころか人間さえもそんな風に扱ってしまうことは無いだろうか?自分に都合のいい一方的な考え方で。子どもの頃から雑草を抜くことを覚えると、自分に利益が無かったり害があったりするものは抜いてしまえばいいという習慣になるのかもしれない。そんな大人もたくさんいる、特にその集団が不自然な場合に。

家族や友人は自然な集まりだからそれはあまりない。でも、自然ではない集団には何か一方的な価値観を維持する必要があるので、「それを乱すもの」や「害に見えるもの」は排除する必要がある。そう考えると、一方通行な価値観の強制が世界や環境を平和から遠ざけてるとさえ言えるかもしれない。

植物にももちろん排除はある。自己防衛もある。自分のそばに余計なものが生えてこないように、あの手この手で。でも、相手を抜いてしまうようなことはない。きれいに取り除いてすっきり、ということはない。

植物を見ていると、抵抗はするのだけど、完全にはそうはならないという世界が、本当の平和な世界な気がしてくる。妥協が日常な世界。まあいいか、という世界。植物は喋らないけれど、「おれも頑張ってるんだぜ、ぜんぶがうまくいくわけじゃないけど」と言って笑ってる気もする。

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ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳『スティーブ・ジョブズ』

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私がこの本から得ることができたもの。それは誰かの言葉で生きることをやめられたこと。自分の言葉を信じられるようになったこと。

世界は多くの要素で成り立っている。人も全く同じ生き方の人はいない。同じ生き方をする必要もない。そして、自分に必要なものは人それぞれに異なるはず。

多くの要素で成り立つ世界から自分の栄養を作り出すには、まずは大きく広く受け入れなければいけない。探し当てるのではなくて、大きく広く受け入れる。そして、そこから自分の言葉に作り上げなくてはいけない。自分が作り出した言葉だけが、自分が歩く栄養となるのだから。

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村上春樹著『1Q84』

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その分かれ道がどこであったかをその時に知ることは難しい。後から気づくことさえも難しい。

もしかすると、その分岐のどちらを選ぶかは、生まれながらにして予め決められていたのかもしれない。

でも、ある分岐を通過することで、もうひとつの世界に足を踏み入れることになる。とても自然に。とてもあたりまえに。

そしてその世界は目に見えない壁に囲まれ、自分で自分を監視しながら、永久にループしている。何事もなく平穏にループしている。それを維持するために、自分の中の何かを捨てて、誰かの犠牲には目を閉じて。