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東京の樹木を634本撮影するプロジェクト

634本。ただ静かに1本の木の前に佇み、見えない根のことを考え、目の前の幹と会話し、大きく空に広げた枝葉に耳を傾ける。

雑木林や畑がもっと身近にあれば、自分の食べ物が、自分の生活に必要なものが、どこから供給されているのかを感じていられる。そして機能だけではない生命のつながりの1つとしての人間を忘れないでいられる。

逆に人間の生活が自然から遠ざかるほど、地球上には人間だけが存在し、人間だけがこの世界を動かしていると勘違いをしてしまう。

身近に1本でも樹木があれば、人間の生活が森とつながっていることを思い出すことができます。東京の片隅に残る樹木1本1本は、同じ装飾ばかりの商業施設よりも、10分だけ早く到着できるという新しい道路よりも大事なものと考えます。

土地本来の植生が回復する仕組みや、つる植物などのマント群落の必要性など、人間の都合による自然とは異なった自然の仕組みを調べたり、勉強したりするきっかけにもなります。

このクリエイティブを通じて、樹木や森に棲む多様な生命をもっと身近に感じて、機能や利便ではない、生命のつながりの中の人間を感じていければと思っています。

雑木林は人間が植えたもの。自然そのままではありません。しかし、自然の回復力がソデ群落やマント群落を作り上げ、本来の植生へ戻ろうとしている力を感じることができます。

スギやヒノキの人工林も、クヌギやコナラの雑木林も、人間が利用するために本来そこに生えていた木を伐採して植えたもの。しかし、そんな森のことも忘れて、価格が安いからと熱帯雨林の木材を大量に輸入し使用している現状をどう考えればよいのか。

美しい森が残っているように見えても、この地域に本来、生えていたカシの仲間にはあまり出会えません。

住宅地の裏にひっそりと残っている雑木林。昔は集落から雑木林に入る道が多くあって、木々の手入れをしたり、人間以外の生命と出会ったり、必要なモノを得たりしていたことでしょう。いまは動物が出てこないようになのか柵で囲まれ、向こう側の自然とこちら側の生活とが離れ離れになってしまいました。

人間の生命の仲間はどこにいるのでしょう。生活に必要なチカラやモノはどこから来るのでしょう。

それほど昔ではない昔。自然と人間とはひとつでした。近くの森を手入れし、収穫し、手入れをする。田んぼには多くの命が満ちていて、小さな生命と人とは一緒に暮らしていました。しかし、自然とひとつであった人間は自分に必要なものだけを効率的に奪うようになり、効率を邪魔するものを害とすることで、人は利益を得て生命を失いました。