ソーシャルメディアの行く末

/

テレビ離れが言われて久しく、部屋の片隅の電話機も取り残された遺物のように見えてしまいます。しかし、テレビの代わりにソーシャルメディアがあり、固定電話の代わりはいくらでもあります。それは人類にとって「進歩」と言えるのでしょうか?

世界中のテレビや新聞などのメディアの数と、大手ソーシャルメディアの数はどちらが多いでしょう。当然ながらその数が少ないほど、多くの人を簡単にコントロールできることを意味しています。

例えば、ウクライナの裏にあるものに気がついてしまい、ロシアを擁護することを書きたいとします。法律に違反しない限り何を書いても自由ですが、それを他の人に表示させるかはソーシャルメディア側が決めることができます。そして、表示されない投稿にはリアクションも無いため、自分の意見は他には受け入れられないことが印象付けられます。

自由に何でも発信できるはずのソーシャルメディアを使い続けるほど、ソーシャルメディア側が設定する「正義?」「方向」が身についてくるでしょう。自分の評価は他の人の「いいね」によるように見えますが、実は表示をコントロールできることによって、ソーシャルメディア側が評価しているのです。しかし、それに気がつく人は少数です。

さらに、世論をある方向に持っていくような投稿(時として権威をほのめかす投稿者によって)や、特定の企業への誘導が、ソーシャルメディア側によって通常の投稿のように含めることができることも注意が必要です。

ちなみに、もしソーシャルメディアに都合の悪い投稿者が存在した場合は、アカウントを削除してしまえば良いので簡単です。

そのような「メディア」の中で利用者は、友人の数や評価の数(スコア)を高めること、友人に対するレスポンスを高めること、ソーシャルメディアに気に入ってもらえる情報をシェアすることのみに注意を払うようになり、より広い視野から観察したり、心静かに自分の中の本当の声に耳を傾ける余裕もなくなっていきます。

何のためにこのような「メディア」が作られているのかは不明です。しかし、これらの「メディア」が、それぞれの人の中にある良心や判断を鈍らすことによって、「毒物はあなたの健康のために必要です」キャンペーンを世界中に広めることは、ますます容易になってきていると言えるでしょう。