地球環境の保護のためにスマートシティが必要だと言う。スマートシティとは再生可能エネルギーを効率よく利用するためにシステム化された街のこと。そこに住む市民のエネルギー利用(=行動)を可視化するためには、それぞれの生活を完全に把握する必要がある。センサーが張り巡らされ、データが収集され、そこでの行動はすべて管理されて適切に措置する必要がある。
もし、スマートシティ全体で利用可能なエネルギーが予め決められていて、一部の市民が過剰にエネルギーを使用していたことが判明したら、迷わず使用制限をかけると思う。そのことに多くの人は疑問を持たないだろう。それは当然だと。そして常に全体という監視下で目立たない程度の暮らしを続けることが当たり前になっていく。全体で決まっていることには逆らわない街。生活の隅々までセンサーで監視されているので抜け道もない。
再生可能エネルギーと言われる風力や太陽光の発電量は不安定だ。その不安定なエネルギーをベースにした街中のオール電化は普通に考えて成り立たない。本当に電気自動車が大部分を占めた時に、風力や太陽光でその電力が賄えるとはとても思えない。ましてリニアのような大電力が必要なものまで増やそうとしている。結果的に原子力の容認という話も出てくるのだけれど、核のゴミ捨て場が無く、1回の事故で完全に終了する原発への拒否反応は簡単には無くならないだろう。
おそらく原発の容認論とそれの拒否まではシナリオ通りと感じる。そして電力が不安定なスマートシティだけが残る。県や市が市民の行動を制限し、センサーである携帯端末を市民全員が持ち歩き、市民同士で監視し合う街。ここまで書いて、それが未来の話でもなくて、ある「案件」の蔓延によって、もう数年前から現実になっていることに気がついてしまう。
過度な電波の飛び交うスマートシティなんて自然界のどんな生物も歓迎はしないでしょう。お金で操られているメディアを捨てて、「NO」を言う勇気と「YES」を生み出す力。一人ひとりがそれを持たないと、シナリオはどこまでも進んでいく。