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村上春樹著『アンダーグラウンド』

underground

60人の地下鉄サリン事件の被害者、関係者の声が掲載されたノンフィクション作品。

村上さんは最後にこんな内容のまとめを書いています。
「帰依した人々の多くは、(中略) 自我という貴重な個人資産を麻原彰晃という「精神銀行」の貸金庫に鍵ごと預けてしまっているように見える。(中略)それは彼らにとってある意味ではきわめて心地の良いことなのだ。何故なら一度誰かに預けてさえしまえば、そのあとは自分でいちいち苦労して考えて、自我をコントロールする必要がないからだ。」

しかし、「もしあなたが自我を失えば、そこであなたは自分という一貫した物語をも喪失してしまう。(中略)あなたはその場合、他者から、自我を譲渡したその誰かから、新しい物語を受領することになる。」
それが「何かのために血にまみれて闘う攻撃的な物語だった」としても。

自他の接点として、人は自分だけの物語を作る必要がある。
そしてその物語を通して、社会の中で生きていくことができる。

その物語は自分で書くのだから、いつでも修正ができる。
他人にあわせて。社会や状況にあわせて。

いくら下手な物語でも、きちんと自分で書いていれば、
いつかは誰かとつながることができる。

でも、上手(じょうず)や下手(へた)、勝ちや負けでしか判断されない社会で、
上手く書くというプレッシャーから自分らしい物語が書けなかったり、
他人は簡単に勝ちを手に入れていると勘違いして、地味な努力が億劫になったり。

そんなとき、自分の物語の書き手の権利を、特定の人や集団に預けてしまったら、
それは極楽な世界が待っている。
正義の物語は誰かが書いてくれて、勝手に上から下りてくる。

たとえ、何の罪もない普通の人たちが精神的、肉体的に犠牲になることが判っていても、
上から下りてくる正義の物語を生きていれば、
目の前の生身の相手に合わせて修正すらしなくていい。

地下鉄サリン事件の実行犯は5人。逮捕者は約40人。
もしこの僅かな人数の人たちが、自分の物語を自分で書くことを続けていたならば、
13人の方が亡くなり、約6,300人の方が負傷したこの事件は発生せずに、
1995年3月20日もただ普通の平和な1日であったのかもしれない。